2008年 10月 08日
#0170 : 遠い私
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夜、疲れた体を引きずっていた帰り道、不意にキンモクセイの匂いがして立ち止った。記憶はキンモクセイとともに思い出されるすべてのものを巡り始め、しばし躊躇した後にようやく昨年の同じ季節にたどり着いた。
なぜかキンモクセイの香りには記憶が結びついている。
いや、キンモクセイに限らない。記憶には常に匂いがセットになっている。ガキの頃にはガキの頃の匂い〜泥や砂場、昆虫やおもちゃの箱、包み紙の匂いなどだ〜、学生の頃にはその頃の匂い〜モクモクとけぶっていた紫煙の匂い、風の匂いや、春の匂い、あの人の匂いもまた…〜がある。
春にはやはり同じ季節を思い出し、何かの拍子に懐かしい人を思い出したり、包み紙の匂いを嗅いでみたくなったり…。記憶は幾度も呼び出され、そして特にどうされるということもなく、思い出されては仕舞い込まれてしまう。
記憶っていったいなんだろう。正確でもなければ不正確でもなく、客観的では決してあり得なく、主観にのみ基づいた記録。
毎週土曜日に徹夜で暗室作業をやりながらも、ますます写真から遠くなっているような気がして、とてもとても切ない気分になっているときにはつまらないことを考えたりします。
なぜかキンモクセイの香りには記憶が結びついている。
いや、キンモクセイに限らない。記憶には常に匂いがセットになっている。ガキの頃にはガキの頃の匂い〜泥や砂場、昆虫やおもちゃの箱、包み紙の匂いなどだ〜、学生の頃にはその頃の匂い〜モクモクとけぶっていた紫煙の匂い、風の匂いや、春の匂い、あの人の匂いもまた…〜がある。
春にはやはり同じ季節を思い出し、何かの拍子に懐かしい人を思い出したり、包み紙の匂いを嗅いでみたくなったり…。記憶は幾度も呼び出され、そして特にどうされるということもなく、思い出されては仕舞い込まれてしまう。
記憶っていったいなんだろう。正確でもなければ不正確でもなく、客観的では決してあり得なく、主観にのみ基づいた記録。
毎週土曜日に徹夜で暗室作業をやりながらも、ますます写真から遠くなっているような気がして、とてもとても切ない気分になっているときにはつまらないことを考えたりします。
by take1mg
| 2008-10-08 01:25
| 想ふ事